味覚異常。いつまで…

副作用ってどれくらい残るんだろう?


まだ療法は終わっていない。気が早い。
でも気になる。
指先の違和感とか、気がかりな副作用はあるけれど、
それよりなにより「味覚」である。


暇があると、食べ物の写真を見ている(ほんと 暇だな!)。
パソコンがついていれば、お気に入りに入っている店舗のメニュー。
そうでなければ広告のメニュー。
何もなければ、頭の中のメニュー。


私の最大の副作用は末梢神経症状である。
開始が真冬だったせいもあって、冷たいものに過剰に反応する。
今でも、もっぱら精神的に反応する。
家人が冷凍庫の中のものを出す音を聞くのも嫌だ。
水の音も嫌だ。


「痛い痛いと思っていると 痛いって感じることあるよね」
「ああ」
「不味いと思うと 不味くなっちゃうってこともあるかな」
「まあなあ」
「私さ 昔 ごまだれで吐いてさ」
「?」
「何年も 10年以上 ごまだれじゃ食べられなかった」
「ああ」
「娘がさ 牡蠣にあたったじゃん? 牡蠣にあたるとエグいよね。
暫く牡蠣なんか見たくないと思うのが普通じゃんね。でもあいつ」
「またすぐ喰ってたな」
「ああいう性格だと 後遺症も軽い気がするんだよな」


娘はつわりが重かった。何を食べても吐く。
一度吐いて懲りたものは普通食べないのに また食べて吐く。
「ばか?」
「諦めるのが嫌なの!」


違う違う。娘の話じゃない。副作用の話だ。


療法が終わって血液の状態が正常値に戻ったら、
あれを食べに行こうこれを食べに行こうあの店に行こうこっちを試そう
と夢を膨らませている。けれど。
今の味覚では食べられるものは限定される。
うかうかしていると夏本番になってしまう。


食べることばかり考えている自分に自分でも呆れる。
でも食べることは大事。食べることが楽しみであるならば
何もいいことがなくても、確実に一日のうちに愉しみに出逢える。


そうそう。昔の話シリーズ(シリーズ?)に書いた、
「味を感じない」「おいしいが分からない」症状。
ある日、家人に誘われ滝を観に行って、その坂がきつくてきつくて
帰り道に茶店で食べた団子の美味しかったこと!
空腹と、余計なことを考える余裕を奪う疲労と、山の清涼な空気。
その中で食べた団子はしっかりと「味」がした。
久しぶりに噛みしめる「味」だった。嬉しかった。


今は味を感じないわけじゃない。甘みと苦みは美味しい。
乳製品との相性もいい。
昨日は、ゴーヤにチーズをのせて焼いた。美味しかった。
節句の和菓子もたらふく食べた。
だから何も食べられないわけじゃない。


でも。


ラーメンが食べたいよう
うなぎが食べたいよう
とろろも食べたいよう
餃子を作って食べたいよう
鉄板お好み焼き屋さんに行きたいよう