まごズが来る。
予定外の預かりだった。
幼稚園で作った敬老の日のカードは
だから、事前に娘から渡されていた。
家人も私も同じ内容だった。
いかにも「ここにこう書きなさい」「ここに貼りなさい」
と指示通りに作った品である。
去年もまご女が「おばあちゃんてかきなさいっていわれた」と
「〇〇たん(名前で呼ばせている)じゃ だめなんだって」。
呼ばれる当人がそれがいいと言っているんだから
名前でいいのにね。名前がいいのにね。
おばあちゃんなんて呼ばれたないわ。
絵も好きな果物を描いたのかと思ったら
どうやら指定されていたらしい。
こんなものまで均されなければならないのか。
それでも一応当人の手による絵だったから個性もあったが
今年まご男が作ったのは写真だけで
なぞったような字で「だいすき」と書かれていた。
書きなさいと言われた「すき」なんか嬉しかないわ。
でもまあ一応飾っておいた。
我が家に来たまごズは真っ先にそれを確認する。
大人にとっては小さな紙切れに過ぎなくても
幼児には特別な一枚なんだろう。
だからこそ
その子の手で完成させてほしい。
みんな同じ であることと
「ここまで成長した(させた)」アピール。
つまらない。
6歳違いの家人と話していると
世代の差を感じる時が、まま、ある。
家人はパスポートを持って沖縄に行ったことが自慢である。
私は小学一年生の時だけだったが
家人は小学6年生まで脱脂粉乳を飲んだ。
「バナナはおやつですか お弁当ですか」
という質問は
私にとってはネタでしかないが
それが家人にとってはリアルだったと
結婚40年になろうとしている今、知った。
おやつの話から遠足のそれの話題となり
家人は「上限100円」私は「上限200円」からスタートで
「定番のおやつは何?」という話になり
(ちなみに私はグリコのアーモンドキャラメルだ)
家人が「バナナも入れてたなあ」と言ったのだった。
「バナナ おやつなの?」
「おやつだろ」
リアルだったんかいっ!
バナナをおやつに入れたら
その分おやつの予算が削られる。
今現在(私の時代でも)おやつを削ってまで
バナナを持っていきたいと思う子どもがいるだろうか。
望めばいつでも毎朝でも食べられるのに。
子育ての頃
バナナは持ち運べる離乳食として最適だった。
そのままカバンに放り込めたし手間も要らないし
子どもも喜んで食べるし一本与えれば一食になるし。
♪さっちゃんはねー
と歌いながら「でもあんたは一本食べるんだねー」。
「昔は バナナは高かったんだよ」と家人。
…そうらしいね。
古都にかかる枕詞である。
有名な句に
あをによし 奈良の都は 咲く花の
にほうがごとく 今盛りなり
というのがあるが
思い出せなくなったので検索をかけて
「えええ」と驚いた。
私は長年間違えて覚えていた。
間違った解釈をしていた。
ていうか子どものころ覚えた句なので
まともな解釈をしてこなかったのではなかろうか。
あおによし奈良の都に咲く花は
で覚えていたのであった。
百人一首の
いにしえの奈良の都の八重桜きょう九重ににおいぬるかな
と混同したのだろう。
こちらは授業で「八重」と「九重」の対比とか
いろいろやったからきっちり覚えていた。
のだけれど
短期記憶でも家人のそれと食い違うことが増え
家人に問題がある場合もあるとはいえ
己れの記憶への自信が削られていく。
これも加齢か。
接骨院で覚えてくるストレッチやマッサージも
一回だけでは正確にトレースできず
二回三回確認してやっと本当の「形」になる。
でもこれは年のせいばかりじゃなく
整体師の常識が一般人の知識と合致していない
という要因もあると思う。
あおによし。
まごズに間違えて披露しなくてよかった…
前記事の優待券3900円で売れた。3900円は落ちていない。
勢いで株も売る。30万円のもうけ。
相続したマイナス株も売って損益相殺させる。
売ったお金で別の株を買い足す。
これは優待目的よりもギャンブルである。
「上がる筈だ!」
配当もそこそこあるので長期戦でいける。
優待もあるから楽しめる。
労働はしていないが充実感に浸る。
ほくほく散歩に出て月を愛でる。
雲が流れて時々顔を出す。風情があっていい。
帰宅したらメール。
「明日か明後日 預けたい」
なんであと一時間早く言ってこんとね!
そうだったら散歩代わりに買い物行けたやないか!
冷蔵庫は空だが、もう一度出る元気はない。
ちっちゃな充実感は吹き飛んだ。
冷凍庫を漁って献立を立てる。

