便通にコメが効く?

大腸を切っているから、いろいろある。
イレウスを経験しているので、いろいろ気を遣う。


すっきりしない日が続いていた。
あれこれ画策してみる。
野菜を摂るのは勿論のこと、
腹筋をしたり、ビオスリーの服用を加減したり。
「よく噛んで食べる」を意識する。
一日排便がない時は早めにマグネシウムを服用する。


ふと気づく。
最近コメが減らない。外食が多いからだが
夕食もパンだったり麺類だったりする。
昼食もパンだったり麺類だったりすると一日米を食べないわけだ。
もしかしてそのせいかと
意図してコメを食べるようにしたら
調子がいい(ような気がする)。


米は栄養の点でも意外と優等生である。
もっとコメを食べよう。



娘の頃の小学校の国語の教科書に
「出征する父親を見送る幼い娘」の話が出てくる。
タイトルは覚えていない。
父親と別れるのが嫌で幼い娘は泣く。
泣き止ませようと、父親は妻に持たされた白米の握り飯を与える。
白いご飯を食べて、娘は笑う。


私はこの話を読んでむかむかした。
今でもこの話の主旨が分からない。
無理して考えると
「父親は白いご飯の味よりも娘の笑い顔を
(最後の)思い出にしたかったのだ」だろうか。
そうかも知れない。
自分がその立場になったら、そうするんだろうが


それでもむかむかする。


したらば、
娘がある日「あの話さ むかつかない?」と言った。


ああ。お前もか。
…他の人はどうなんだろう。

造影剤CT 慣れたもんさ

流れが分かっているので気が楽です。
受付後血圧を測って、衣類に金具がついていないか確認して。
点滴挿して台に寝転がって。
息を吸ってとめて吸ってとめて。点滴流して。
身体が熱くなりますよー それ以外に何かあったら教えてねー
息を吸ってとめて吸ってとめて。
はい 終わり。
「今日は水分多めにとってくださいね」


この「衣類に金具」。女性の場合下着が問題である。
だから最初からしていかない。
Tシャツに薄いスカートを合わせて
その上から厚い生地のジャンスカを着る。
待合から中に入れば医療従事者だけだから
ジャンスカを脱いで寝転がっても何も問題はない。


それでも前回までは「検査着」が支給されていた。
しかし今回はきっぱり検査着に関する言及はなかった。
あとから来た男性に対しても
「ズボンファスナーですね。検査の際 おろしますがいいですか」
であった。
嫌とも言えず。


うーん。私だったら嫌かもなあ。男であるがゆえに。
もうひとりの男性は、心得ていたのかゴムのズボンだった。


10分しか着ない検査着でも洗濯が必要になる。
経費削減なんだろうなあ。
それはそれでいいと思うが
承諾書にひとこと注意書きを入れてあるといいと思うよ。
皆が皆慣れているわけじゃない。



副作用に悩む人もいるらしいが
私は検査中ぼやーっと熱くなるだけである。
今回初めて舌に苦みを感じたが、それもすぐ消えた。


それでも検査が終わるとほっとする。
けれども。
大事なのは検査結果である。


悩んだり心配しても仕方ない。
来週、結果を聞きに行く。

絵本

図書館に行く。
絵本を抱えた利用者の姿をカウンターで見かけた。
複数のカードを使うのだろう 10冊を超えている。
そういえば娘宅も借りていると言っていたっけね。


そういった行為を否定するわけではない。
子どもに絵本や紙芝居を読みきかせるのは
勿論、悪いことではない。


けれど
図書館で借りるだけではいけないと思うんだ。


購入して、自宅で所有する必要もあると思うんだ。


自分だけの一冊を持つということ。
擦り切れるまで何度も何度も何度も同じ本を読むということ。
すっかり暗記した本を親に読んでもらうことの喜びを
大人はもっと理解しないといけない。



お金がなくて
安物の服やおふるの服しか与えてやらなかったけれど
月に一度本屋に連れて行って 絵本を一冊選ばせた。


文字数が少ないとか そういうことは考えず
(考えたかも知れないが口には出さず)買い与えた。




まあ その結果があれ(娘)だけれど。



そうか。
その結果があれ か
ちょっと自信がなくなったが。



子どもに本を読み聞かせるのと
子どもに本を「与える」行為は別次元のことだと思う。


読み聞かせた結果、読書の習慣がつくかも知れない。
つかないかも知れない(我が家はそうだった)。
子どもに自分だけの本を与えた結果は
違う作用となって生じるのではなかろうか。


予定調和による精神の安定や発達。
自分の世界を持つことによる自己肯定感。


繊細な情緒や読解力はないが
自己愛と自己肯定は、娘にある(気がする)。


どうであれ
本を買うこと
映画館で映画を観ること
正当な対価でおいしいものを食べることは
人間を真の意味で豊かにすることに通じる筈だ。

咲いた

つぼみをつけた三鉢のうちひとつが。

どの状態が満開なんだろう?
花より葉っぱの方が美しい。光沢がとても。


白鳥花のつぼみは変色して消えた。
もう引っこ抜いてやろうかしら。
これだけ毎日水をやらないといかんので面倒なのに!


蒼角殿は
どうやら水をやり過ぎたようで元気がない。
乾かしつつ回復を待つ。 つぼみ がんばれー



春はいい。
ベランダに鉢を並べる。
そろそろ直射日光はいかんかと位置を変えた。
今から夏が憂鬱だ。
謳歌できる春が短すぎる。



昨日は、まご男だけ来た。
まご女は父親方の祖父の家に。
自分で行くと決めたと聞き、安堵した。
一抹の寂しさはあったが、よかったと思う。
家人は一抹どころじゃない寂しさを抱えるだろうと思って
詳細を話すのはやめた。


まご男も姉のいない祖父母宅を満喫し
まご女もそれなりに楽しんできたようだ。


今日は子どもの日。
我が家の「子ども」の息子のためにもんじゃをやる。

世間は連休盛り上がり

みなさまGWをいかがお過ごしでしょうか。
リタイア家の我が家は連休が過ぎ去るのをじっと待ってます。
携帯が鳴るたび、びくびくびっくりです。


なぜかというに
私の携帯が鳴る時は9割が子どもからの要請だからです。


子どもも孫もたまに会うがよろしい。
連休明けに通院予約が入っているので、できるだけ穏便に過ごしたい。
と息を潜めていたのだけれど


鳴る時は鳴る。
それも連動しているかのように。
まず昨夜。
息子。「もんじゃか餃子喰わせてー」
なんで肉屋が休みに入る前に言わんかなあ。


断る理由もないから「起きた都合で連絡するわ」と返す。
寝不足だったら後日にしようかなと。
したらば。


目覚ましもまだの早朝。娘から。
「今日 彼ら預かれる?」
これまた断る理由もないから(もんじゃ予定とは言えねえ)
了解と返す。
8時過ぎたら、もんじゃは後日と息子に送ろう。


しかしその後また状況が変わったとかで
いまだ確定せず。


どうせ暇でしょ?と言いたいんだろうが
この晴天。花粉明けの梅雨入り前の晴天は活用したい。
多肉ちゃんたちの配置に始まって、いろいろあるんだ。
冷蔵庫の事情だってあるんだ。
体力の配分だってあるんだ。


とまあ
一年前(療法中)の
「日常が一番。動けることが幸せ」という気持ちも忘れて
ぶつくさ文句を垂れているのであった。



通院予約ということは経過観察の検査ということで
どうして検査が必要かと言えば
それはまあ結果をみるためで。


それなりの憂鬱と不安を抱えているわけさ。私だってさ。