病人のわがままですかね

できることはやりたい。
健康体の時と同じようにはできないけれど、
可能な限り健康体と同じように過ごしたい。
周囲に余計な気遣いされたくないし、世話にもなりたくない。
と思う一方で
健康体の時と同じにはいかないのだという事実を、
周囲にはちゃんと意識していて欲しい、と思う。


私が何度「大丈夫」と繰り返しても、
本当に大丈夫なのかどうか疑う気持ちは持っていて欲しい。
だからといって、手を出したり、仕事を取り上げたりはして欲しくない。
適度な距離をおきつつ、様子を窺い、少しだけ気遣いを見せて欲しい。


座布団一枚分ぐらいの。


我が家は木のベンチと木の椅子。以前はそのまま座って平気だった。
でも今は座布団が欲しい。
カウンターで食べて、テーブルでパソコンやったり新聞読んだりする。
一枚の座布団をそれぞれのベンチに運んで、座る。
この座布団を、さりげに移動させる、ぐらいの気遣い。


洗濯もやるしご飯も作る。座布団だって自分で運べる。
でも振り返った時、座りたい場所に座布団があると嬉しい。
それだけの話。



昨日、プレゼントを持って、めいっこに会いに行った息子の話。
まずケーキを食べる、のだが、まご娘は固まってしまって、
ケーキにすら手を出せなかったという。
息子は思わず帰ろうかと思ったほどである。
なんとか食べ終え、プレゼントを出したところで空気が変わった。
息子が用意したうちの、知育玩具がヒットしたらしい。
夢中になって、最後には息子とふたりで笑いながら遊んだと。


ああ よかった。
送り出した後も、あれこれ考えて不安になっていたんだ。
せっかくの誕生日を台無しにしてしまったらどうしよう。
まご娘にも息子にも可哀相な結果になってしまう。


家人から報告を聞き、安堵に胸をなでおろし、ふと。
「動画は? 写真は?」と訊いた。
どちらもない。
「私に見せてあげたいとは思わなかったの」
家人はあれこれ言い訳をするが、それは「できなかった状況」の言い訳。


まご娘と遊びたいとか会いたいとかは思わない。
でも、楽しそうにしているまご娘は見たい。
私以外の誰かと遊んでいる姿を見たい。それで安心できる。
相手は保育士さんでも娘の友人でも誰でもいい。
めいっこラブの息子なら尚更いい。両想いになった場面を見たい。


それが叶わなかったので、私は機嫌が悪い。


これも病人のわがままかね?