完結まで死ねない

深野

若い頃 というか 学生時代
大好きなマンガに出逢う度 そう思った。
この年になって そこまで思い入れる作品はなくなった。
とみにここ数年 ドラマティックな長編より
ゆるーく日常を連ね 美味しいものを食べて 語り合う
そういうマンガを好むようになった。


その中で一作「ああ 続きをだらだら読みたいなあ」
「これ きっと最後に あちこちにちりばめられたビーズ(エピソード)が
一本の糸に通されて円になるんだろうなあ」というのがある。


「宙に参る」
脳みそ以外はすげかえ可能 な時代に夫をなくした妻が
遺骨を地球に届けるために宇宙を旅する
というあらすじからでは 内容は想像できない。
この「妻」たる女性には子どもがいるのだが 人間ではない。
この「妻」たる女性には数々の特技があるのだが 家事ではない。
登場する女性は みな男前。
登場する男性はおっさんばかりだが それぞれに味がある。
性差もなければ 人間と人間外知性体の境界も曖昧で
最新刊では アシモフの短編を彷彿させられ涙ぐむ(人は少ないだろうが)。


一年以上待っての新刊。次はいつだ。



今朝 「私はいつも最悪を想定する」と前置きした。
「悲観的なのではなく 私にとって合理的想定なのだから心配するな」
これまでの人生で何かを考え何かを決める時
いくつもの可能性をシミュレーションして 対応できるよう練って来た。
「お前の取り越し苦労の8割は無駄になる」
そのとおりだけれど 性分だから仕方ないと言って来た。そして今
そのとおりならば そんないいことはないと思いつつ
そのとおりだと思って聞いてくれと話した。


一番面倒なのは不動産のことだ。
だが「お前が考えるほど面倒じゃない」と言ったから 除外していいんだろう。


前に書いた墓と遺骨については同意を得た。


次は株式一覧かな。どう配分するか。

そういうのはちょっと な

深野

娘が孫娘と出かけたいというので 下の孫の子守に行く。
帰り際 娘が「来週 有休とるからどこか一緒に行こう?」と言う。
「なんで」
「……U子(孫娘)が 一緒にお出かけしたいみたいな」
「はあ?」
「今日も 出かけるよって言ったら 一緒に?って訊くし」
「一緒に出かけたことなんかないのにぃ?」
そこで涙ぐむ娘。


ごめん。鬱陶しい。面倒くさい。



孫娘は現在2歳。年明けに3歳になる。
人間の記憶は3歳からと聞く。大人になって思い出せるのがそれからの記憶だと。
姉は3歳3か月の時に祖母を亡くしている。その祖母の話を私にした。
「あんたは 優しいおばあちゃんの記憶がなくて可哀相だ」と。
亡くなったのは母方の祖母で 姉は遊びに来た祖母を帰らせまいと
鞄を隠したほど 懐いていたらしい。
残ったのは父方の祖母で 嫁の子どもは孫ではないかのような
少なくとも良い思い出はない。
ないけれど それで自分が可哀相と思ったことはない。
祖父母を慕う話を聞くと「嘘くせえ」と思う。羨ましくもない。


それを言ったら両親に対してもそうで
親が死んでも悲しくもなんともないことが 却って幸運な気さえするのである。
喪失感の欠片もない。


人の死は 肉体の死と 忘れられた時に訪れる死とがある とかなんとか。


いつかそう実感する時が来るのだろうか?
今は 覚えていて欲しいとは思わない。
悲しい思いをさせるくらいなら 忘れてくれた方が楽だ。


大体が まだいつ死ぬかなんて分からない。
そういう意味では誰だってそうだけれど。
死ぬか生きるかより 元気でいられるかどうかだしな。
生きていたって遊べないなら 会いたくないから 死んだも同然だ。



「最近 言うの。来る? 行く?って毎日訊くの」
空気を読む子だから敏感に察知したのかも知れないけれど
娘がめそめそしてんじゃないのかと思ったりもする。


でもな めそめそしているうちはまだ余裕なんだと思うよ。他人事なんだよ。
現実に直面したら 悲しいより腹立ちが先に立つんじゃないかな。


どのみち感傷とか思い出づくりとか 勘弁してくれ。
「面倒くさい」 口に出して言っていた。


まだ検査も始まってない。
こっちは現実的煩わしさで頭が一杯なんだ。
つきあっていられない。

ワクチンを予約する

深野

インフルエンザは済ませた。
もともとワクチンは反対派なんだけれど
「言い訳」のためにうつ。
子どもの受験期とか まごの幼少期。
もし罹っても「できることはやった」と言えるように。


コロナワクチンの副反応はきつい方だと思う。
四回目はない と思っていたけれど
通院や入院の可能性を考えると 接種を済ませておくべきかと考えた。
身体を守る為じゃなく 精神衛生上。
医療の現場に入ることと集団に混じること。その責任である。
副反応ほどの効果が望めるかどうか
短期的副反応以上の長期的副反応への懸念はあれど
「できることはやった」という事実の方が重い。


(せめて)コロナがなければなあ


擦り切れるほどに繰り返された言葉。
ひとりめの孫の誕生とともに始まったコロナ社会。
何かにぶつかるたび「コロナじゃなきゃなあ」と呟く。
世界中で同じように擦り切れていることだろう。
なんて因果な病。



買い置いてあったパジャマを着てみた。きついではないか!
フリーサイズという表示もいかんのだが
素材そのものが悪いのだろう。特別安かったわけでもないのに。
雑貨店で購入したものだ。
見栄えはいいが 実用向きじゃない。
細身の若い人ならいいんだろうが 着心地が悪い。


入院を前提に通販で二組買ったが もう一着買い足した。
これも物質的な意味合いより 精神安定のためだな。
買ったものはどれも気に入っている。なによりである。


病棟用の履物を探している。
調べたら「スリッパはだめ」とある。靴タイプがよろしい。
病院用と限定するなら 学校の上靴とかだけれど 味気ない。
その後普段履きに出来るような シンプルながらデザイン性のあるもの
「好き」と思えるものを買いたい。

ブリンカーは必要だと思うよ

深野

憂鬱の原因のひとつ。
紹介状を書いてくれた医師の発言だ。
こちらが感知してない自覚症状を「やがておきるもの」として
再三心配する。
なにごともなく日々を過ごしたいのに
そうなったら ああなったらと色々考えてしまうではないか!
どんなことにも個人差はある。
そうそう。ネット情報がいかにあてにならないか。
(食べログ等の口コミがいい例だ。美味しいの不味いの
店員の態度がいいの悪いの 店内の雰囲気がどうの そんなん感じ方ひとつだし
毎日同じなわけもない)


家族がそれぞれネットで情報を集める。
「私の心配は私がするから 自分の心配しなさい。
ネット情報に振り回されてたら 目の前の医者が見えなくなる。
心の平穏のために 担当医師の言葉を素直に聞きたいんだ 私は!」
聞きかじりを吹聴されるのは善意であっても不愉快だ。


情報が溢れる現代は不幸だな。
病気に限らず 進路とか子育てとか ハズレを引きたくない
間違えたくない という意識が強く働く。
知らないからこそ今を頑張れることは多い。知らぬが仏も多い。
選択肢なんかない方がいいんだ。



買物がてら散歩に出る。木星が映える。
木星が出る時季は空を見上げる楽しみがある。確実にそこにある。
月よりも高確率で見える。雲の隙間にも見つけられる。
強いな と思う。
ジュピターだもんな。

悶々週間かあ……

深野

紹介状は貰ったが 予約が結構詰まってる。
診察して検査予約して検査結果踏まえての診断受けて
方針決めて そこから病棟なりなんなり予約して
それらの予約が 初診同様詰まっていたら
まな板の上の鯉になれるまでにどんだけかかるんだ! って話。
じたばたしようがないという点では既にまな板の上なんだけれど
日常生活送りながら ってのは結構しんどいものがある。
図太ければ それまで目一杯遊ぶぞ!なんだけれど
このご時世遊ぶにも限界あるし 性格上羽目は外せない。


暫くは 片付けの続きをゆっくりもったりやりつつ
おいしいものを食べにいく てな感じだろうか。


ことの運びの悪さにちょっと滅入ってる。


入院用品をせっせと買い足しているが
もしこれが無駄になるような事態に陥ったら 二重に落ち込むぞ。
でも やっぱりある程度「好き」なもので揃えたいではないか。


昨日散歩がてら買い物に行って あまりの収穫のなさに
必須とも思えない布製の手提げ袋買っちまったぜ。
ま 1500円で気が済むなら安いもんさ。
倹約生活長かったから 今ぐらい財布の紐を弛めてもいいだろう。


家人に保険のことを訊かれた。
あれこれチョンボやらかしてるんだ 実は。
人生の選択 正解と間違いとどっちが多いんだろう?
塞翁が馬ということもままある。
激しく後悔したことが あとになって幸いとなる。


過去と未来に囚われない方がいい。
だから後悔はしないし 未来を不安に思うことも(できるだけ)しないっ!
今現在がよければそれでよし。