そういうのはちょっと な

娘が孫娘と出かけたいというので 下の孫の子守に行く。
帰り際 娘が「来週 有休とるからどこか一緒に行こう?」と言う。
「なんで」
「……U子(孫娘)が 一緒にお出かけしたいみたいな」
「はあ?」
「今日も 出かけるよって言ったら 一緒に?って訊くし」
「一緒に出かけたことなんかないのにぃ?」
そこで涙ぐむ娘。


ごめん。鬱陶しい。面倒くさい。



孫娘は現在2歳。年明けに3歳になる。
人間の記憶は3歳からと聞く。大人になって思い出せるのがそれからの記憶だと。
姉は3歳3か月の時に祖母を亡くしている。その祖母の話を私にした。
「あんたは 優しいおばあちゃんの記憶がなくて可哀相だ」と。
亡くなったのは母方の祖母で 姉は遊びに来た祖母を帰らせまいと
鞄を隠したほど 懐いていたらしい。
残ったのは父方の祖母で 嫁の子どもは孫ではないかのような
少なくとも良い思い出はない。
ないけれど それで自分が可哀相と思ったことはない。
祖父母を慕う話を聞くと「嘘くせえ」と思う。羨ましくもない。


それを言ったら両親に対してもそうで
親が死んでも悲しくもなんともないことが 却って幸運な気さえするのである。
喪失感の欠片もない。


人の死は 肉体の死と 忘れられた時に訪れる死とがある とかなんとか。


いつかそう実感する時が来るのだろうか?
今は 覚えていて欲しいとは思わない。
悲しい思いをさせるくらいなら 忘れてくれた方が楽だ。


大体が まだいつ死ぬかなんて分からない。
そういう意味では誰だってそうだけれど。
死ぬか生きるかより 元気でいられるかどうかだしな。
生きていたって遊べないなら 会いたくないから 死んだも同然だ。



「最近 言うの。来る? 行く?って毎日訊くの」
空気を読む子だから敏感に察知したのかも知れないけれど
娘がめそめそしてんじゃないのかと思ったりもする。


でもな めそめそしているうちはまだ余裕なんだと思うよ。他人事なんだよ。
現実に直面したら 悲しいより腹立ちが先に立つんじゃないかな。


どのみち感傷とか思い出づくりとか 勘弁してくれ。
「面倒くさい」 口に出して言っていた。


まだ検査も始まってない。
こっちは現実的煩わしさで頭が一杯なんだ。
つきあっていられない。