「かくれんぼ」と幼児

まご女まご男預かる。
おやつ後帰宅までの間と全力でかくれんぼにつき合う。
帰宅時刻が段々にずれ込み全身がばきばきになった。


家人が隠れて他3名で探す。家人は疲れて手を抜く。
まご女が「むずかしいところ かくれて」と言う。


まご女と私が隠れて、家人とまご男が探すというパターンになった。
「むずかしいところ どこ」とまご女が言う。
まご女を隠して自分も隠れる。隠れ場所は狭い場所になる。
身を縮めて中腰になって、ということもある。
まご女を隠すにも段ボールを動かして、その奥とか
ゴミ箱をずらして隙間に押し込むとか。
とにかく全身を使うのである。もちろん頭も。


まごちはもともと、私に何かをさせて、それを真似ることで
遊びの幅を広げ奥行きを深めるという傾向にあった。
これもひとつの学習だろうと、少しずつ進展させてきた。
かくれんぼの隠れ方を体を張って教える というところか。



かくれんぼ という遊びは大げさな言い方をすると
孤独と恐怖との闘いである。
子どもにとって、隠れ場所にひとりでいることも
見つけてもらえるまでじっと待つということも、忍耐を要する。
いつかは見つけてもらえるのだから怖くないということは
経験によって学習されることである。


幼い子は自分から出てきたり、声を出して居場所を教えてしまう。
まご女は、
相手(おに)が見つけるまでじっと潜んでいられる、
相手が見つけられなくて困っているのを楽しめる
というところまで成長したということである。


そう考えると感慨深いものもあるが。



なんにせよ、子どもと真剣に向き合う(つきあう)のは大変だ。