募金の話

一分の一 は
災害にも当てはまる。
被害者数で災害の大きさを計る傾向にあるが
被害者にとっては一分の一である。
何千人死のうが助かろうが。



東日本大震災の時
我が家はまだ食べ盛り(今でも食べ盛り)の子がふたりいて
家人の給料でのやりくり中だった。


ポイントで貯めた分とか、貰い物で補ったりとかで
浮いたお金を五百円玉貯金箱に入れていた。
それをひっくりかえして役所の募金箱に入れに行った。
入れながら
大島弓子のマンガに出てくる募金箱だったら面白いな
(硬貨を入れるとリンゴーンと鳴る)
などと考えていた。


硬貨ということもあって「募金」という実感があったし
専業主婦の私が自分の努力で「貯めた」お金という意味でも
意義を感じたりしていた。


今はあの頃より自由になるお金がある。
にも関わらず
設置してある募金箱を前に、立ち竦んでしまった。
いくら入れたらいいんだ?
いくらだったら「自分の誠意」といえるんだ?


募金には上限も下限もない。いくらならいいということもない。
そういう意味で
あの五百円玉貯金箱募金は迷いがなくてよかった。


お金に色があるわけじゃなし。
考えすぎて動けなくなるいい見本。