裁判員裁判

図書館で借りて来た本を読む。
裁判員制度元年と副題づけられたそれは
裁判員裁判の問題と地域性が面白く絡み合っていた。


裁判員裁判の記事を新聞で見かけることがなくなった。
殊更に報じられなくても制度は続いている(筈だ)。


自分は勿論、身近な人にも経験した人はいない。
候補になったという話も聞かない。
真剣に考えたこともない。ないが
「もし候補になったら」という話が出たことはある。


私は「出来れば辞退したい」。
オンオフが上手にできない人間は受けるべきではない。
精神を病むよ…
かといって
家人のように、のりのりで「俺ならやるわ」という人物も
裁判員には向かないと思う。


それきり、忘れていた。
本を読んで、改めて、こういう仕組みか、こういう過程か
と認識する。


こんなんで裁かれたんじゃ、堪らないなあと思う。
裁判員制度については、これまで賛成も反対もなかったが
今問われたら、反対と言うんじゃないかしら。
小説は「市民目線が誤審を防いだ」という形で締め括られてはいたけれど。



裁判員の「いい経験」「勉強になった」という感想と
判決を受けた側、もしくはその裁判の関係者(被害者・遺族)の
その後の人生は、まったく別の問題だろう。
裁判員のために裁判があるわけじゃない。


裁判員裁判の二審後の結果をデータ化して公表して欲しいかな?
そうすればまた別の視点が得られるだろう。