男とか女とか

じゃないよなあ
とも思う。


愚痴に対する反応
とか特にね。
女性もやるよね。共感の前の指摘。


新聞の相談欄を読む。
特に子育ての場合など
経験的に「こんなん仕方ないよ 子どもの個性だから。
時間がたてば大抵は解決するしさ」と思うのに
ああしたらこうしたら「こうすべき」。


相談者は本当にそんな決まりきった助言、聞きたいのかなあ?
真剣に悩んでいるなら、やれることはやったと思う。
そして疲れ切ってるんだと思う。
だったらまず「今だけだよ」と教えてあげるべきじゃ?
自分がこうした、より、「大変だよね 分るよ」が先じゃ?
それから「気が楽になるなら こうしたら」でいいんじゃないの。


高齢男性が「デジタル化の現代」に愚痴をこぼしたのに対し
自分はパソコンもスマホも使いこなして現代を愉しんでいる
と回答したじじいがいた。
そこは「ゆっくりアナログペースで生きていきましょうや。
でもデジタルはデジタルで便利そうだから 利用できるといいですね」
じゃないのかなあ。


瀬戸内寂聴が嫌い。
著作は多分読んでない。
人生相談で上記のことをやらかしたから嫌い。
自分はああしたこうしたという成功談をぶってた。
人生の成功者という自負があるなら
弱者に優しくしろよ。
あんたの助言は全然助言にも慰めにも励ましにもなってない。
相談者の気持ちを折っているだけ。



町内会でお役の分担がある。
敬老会よりお祭りの方がいいなあと家人が言う。
てか。
「高齢者が敬老会の世話役やるのってどうよ」
家人66(明日67)が高齢者かどうかはさておき。


新聞の投書欄に「高齢者施設に慰問のボランティア行ってます」
と誇らしげに投稿する高齢女性。
私が施設利用者だったら自分と同年配もしくは年上の慰問なんか
受けたくない。
己れの不甲斐なさを見せつけられた気がする。


あ。でも高齢男性は高齢女性の慰問、嬉しいのかな?