ギフテッド

久々に娘宅に行く。
夏休みを前に「子守」のリハビリである。
まご女はともかく、まご男は私を忘れている。
私だけで子守しなければならない状況も出てくるので
馴らしておかないと。
子守+徒歩での往復は負担が大きすぎる。
車で家人も一緒に行く。


まご男はごく普通の幼児と思われるが
まご女と比べると「こいつ馬鹿か」と感じるほど笑う。
私の顔を見て最初固まったものの
家人と遊ぶうち私にも愛嬌をふりまくようになった。
娘曰く「姉と違って承認欲求が強い」。
なにかをするたび、いちいち反応を確かめる。というか
賞賛を要求する。めんどくせえ。


誰もいなきゃ諦めて私と遊ぶだろうと結論。
期待されるような遊び方はできないだろうけどな。



娘が子守リハビリに来いと言ったのだが
娘も話がしたかったようで
それはもっぱらまご女のことである。
まご女は難しい。赤ん坊の時から難しい子だった。


ギフテッド教育という言葉をご存じだろうか。
正しく解釈できているかどうか自信はないが
私は「特殊な才能のある子や発達障害を抱えた子を
一般の子どもとは分けて教育する」と考える。


まご女の記憶力と集中力と思考力、
人間への興味の薄さ、自分の価値観に囚われた嗜好・言動
などを考えると、普通の学級では生きづらそうに思える。
娘は「登校拒否をおこしそうなタイプ」と言う。
「プライドが高いから それはないんじゃないか」
と否定してみたものの、一歩間違えば分からない。
担任(理解者)に恵まれればいいのだけれど。


アメリカに留学した娘はアメリカのように
ギフテッド教育があればいいのにと言う。
日本も以前よりは「多様性を受け容れる」方向に向いてはいるが
まだ先は長い。数年では無理だろうし
一部の教育者が推進しようとしても、親の意識がついていかない。


ギフトは「毒」でもあるということ。
毒草も調合によって薬になり得るが
間違えば人を不幸に陥れる。



まご女とは正月以降会っていない。
幼稚園に入ってどう変わったのか、この目で見ていない。
記憶にある彼女の、不安な部分ばかり膨れ上がっている可能性もある。
会ってみたら、普通の園児になっているかも知れない。
娘の「特別視」が親ばかの範疇で終わればいい。