コップの水が溢れる時

人付き合いで狭量なつもりはないのだけれど、
実際に「心が広いね」と言われたこともあるくらいだけれど、
それだけに無意識のうちに溜めてしまって、
ある日突然あふれ出して、もう元に戻せなくなる。
覆水盆に還らず。



カミングアウト?の冒頭に書いたメール。
送って来た友人は大好きなんだけれど、
「集まる」メンバーの中に、最近コップを溢れさせた友人がいる。
とりあえず暫くは会いたくない。


独身で一時期は同棲などしていたけれど、今はひとり。
寂しいだろうと気遣って、家族のことは話題にしないようにしてきた。
自然と私は聞き役になる。
彼女の仕事の愚痴もしくは自慢、彼女の介護の愚痴もしくは自負を
ずっと聞いてきた。


3年前、久しぶりのメールの返信に、近況として
「2月に初孫が生まれ 5月に父親の葬式だった」と書いた。
返って来たのは「ご愁傷様でした」だった。
私と親の確執は知っているはず。
「ひとつ終わったね」でよかった。で「ひとつ始まったね」。


その時にもコップの水は揺れたけど、
独身だから仕方ないんだよなあと思って抑えた。


その後、娘の二人目の妊娠つわりと出産で私はヘロヘロとなる。
電話が掛かってくる。メールも届く。
とりあえず「相談」「質問」の形で。でも私の回答なんか無視。
「参考になった」と言うものの、最初から方向は決まっていた。
決めた上で電話してくる。ただ聞いて欲しいだけ。


正月と3月と、メールが来た。
療法が始まっていたからやんわり「体調が悪いんだわ」と返す。
気遣う言葉はなし。自分のことばかり。
「愚痴を聞いて欲しいな」。
「会いに行くどころか 音疲れがひどいから電話もできない」と返した。
これまで書かなかった孫のことも書いた。無理が重なって疲れたと。
返信はなかった。


その前からもいろいろあったなあと
溢れて零れた水を指で広げながら思う。
別れた彼氏と暮らしたマンションに住み続け(家賃が高い)、
越した先は2LDKで一部屋はガラクタの山。
「年金だけじゃ食べていけないだろうから その時は生活保護かな」
いやいや。まず生活削れよ。そういういい加減さ、私は許せない。
言葉の端に、かつての私の節約生活を揶揄する響きを感じる時もあった。
私は誰かに迷惑をかけないために節約してきた。
私の推しは無視してきたくせに、自分の推しの動画をこれでもかと
送りつけて来た。私は映像も音も苦手だと何度も言った。
ひとりだと吞んじゃうと言うからあわてて駆けつけたのに、
他の知人友人の話をする。


もやもやは本当は「水」なんかじゃなく「毒」なんだよな。
吐き出せばよかったんだろうけれど溜めてしまった。
けれど、もう溜めたくない。


メールの友人とは会いたいし、もうひとりの友人も近況を聞きたい。
でも集まるとなると彼女は外せない。
事情を説明するとなると悪口になりかねない。


面倒くさい。


コップの中に何が残っているのか、
そこに再び注ぐことはできるのか、分からない。