涙とともにパンを

食べたものでなければ人生の味はわからない。ゲーテ。



お金がなかった。
いつもそうだったが(今はそうでもない)、
学生時代は本当になかった。


本代とまんが代とまんがを描く画材代と、交際費。
それを月5000円の小遣いで賄うなんて無理。
私学だからバイトも禁止。


図書館にないような本は、高い。
まんがは友人との貸し借りでなんとか凌いだ。
アナログしか手段のない時代。スクリーントーン一枚630円。


運動部所属だった姉が卒業し、昼食はパンでいいということになった。
一日250円。一番安いパン二個と牛乳で150円。
100円をちまちま貯めて、月2500円。
もっと安く済ませて、もっと貯める方法はないか。
私は考えた。


そうだ。食パンを一袋買って一日一枚食べればちょうど一週間。
家の冷蔵庫からチーズか何か持ち出して足しにしよう。
ついでに紅茶パックも持ち出して飲み物代をなしにする。


月曜日の朝、登校途中のパン屋に寄る。学生でごった返している。
店番のおにいちゃんに「食パンください」と言う。
「はい? 食パン?」 おにいちゃんは困惑気味に奥に入る。
手ぶらで戻って来る。「食パン ですか?」「食パンです」
また奥に行く。また手ぶら。「食パン ですよね?」「食パンです」
三度目にしてやっと食パンが出て来た。それをぶら下げて学校に行く。
予定通り一週間で食べ尽くす。


月曜日にパン屋であのやりとりをやるのかと思うと憂鬱になり、
土曜日、下校途中、乗換駅のパン屋でフランスパンを買う。
隠しておいて月曜日、それを持って登校する。


毎日齧る。段々固くなるが、咀嚼に時間がかかってよろしい。
友人たちのお弁当を眺めながら噛みしめる。


金曜日。衝撃の事実に気づく。
……かびている。
素知らぬふりして食べてしまおうか。
だが友人のひとりが言った。「昨日からだよ」
仕方ない。
パンを廃棄する。哀しかった。


もう次の手が浮かばない。


あああああ! 面倒くさい。もういっそお昼を食べるのやめよう!
友人たちが気まずいだろうから、昼休みは図書館で時間を潰そう!


その後2年間。私は昼を食べなかった。


涙をのんで捨てたパン。人生の味は、きっとかびくさい。