子どもの宝物

シールや可愛いメモ用紙、便箋と封筒など。
雑誌の付録や友だちに貰ったものを箱に入れて、
引き出しにしまっていた。時々出しては眺める。
ある日、学校から帰ったら、中身が床に捨てられていた。
母だ。
「どうして」
「こんなゴミを引き出しに入れているから 部屋が散らかるんだ」


中学の時、学園祭で劇をやった。台本から演出、大道具まで、
私が仕切った。クラス中を巻き込んで好きなマンガを舞台化した。
クラスメイトはいい迷惑だったかも知れない。が、
学園祭当日、お金を出し合って薔薇の花束を贈ってくれた。
そのうちの数輪をドライフラワーにして本棚に飾った。
ある日、学校から帰ったら、ベランダに捨てられていた。
「どうして」
「枯れた花なんてゴミでしょ」


母は私を浪費家だと言う。
その時引き合いにだすのが、5000円の宝石箱。
どうしてもどうしても欲しくて、お年玉で買った。
今、大人の視点で考えれば、確かに高い。
それだけの価値があったかどうか、疑問である。けれど。


その数年後、私は姉に3000円の宝石箱を贈った。
夏休みに一日40円のバイト(手伝い)をして貯めたお金で。
お小遣いと合わせて姉の誕生日にプレゼントした。
自分に買った5000円の宝石箱を無駄と思っていたならば、
決して買ったりはしないだろう。敢えて贈ったのは、
女の子には宝石箱が必要なのだと思ったからではないだろうか。


入れるのは宝石じゃない。夢だ。
きらきら光るガラス玉は価値がなくても、夢を見せてくれる。


「サンタクロースの部屋」
子どもはいずれ真実を知る。けれど。
幼少期に信じたことは、心の中に部屋となって残る。
その部屋で人は違うものを育てていく。


無駄ではない。ゴミでもない。子どもの宝物。


確固たる信念があってのことならば(たとえば潔癖症とかね)
仕方のないことだったかも知れない。だが母のはただの八つ当たり。
私の大切なものを踏みにじって、鬱憤を晴らしたのだろう。
それとも出来損ないの子が、宝物をもつことが許せなかったのか。


私の宝石箱は実家で娘が遊んだ。
実家にあるものは全て処分したので、今はない。
姉の宝石箱は手元にある。姉は何を入れていたのだろう?