母と私と娘

出産の前に結婚だが、そこはまあ機会があればいずれ。


娘が生まれた。里帰りはしなかった。
時々の週末、両親がやってきて娘を連れて行く。
孫が可愛いんだなと思った。娘である私を休ませることにもなるし。


母が訊いた。
「子どもと離れて不安になったり体調おかしくなったりしない?」
「なんで?」
「ならないなら いいけど」


二歳過ぎると自己主張する。
「おうちに帰るよと言ったら嫌だって泣くのよ」と母。
「へえ」
「おかあさん 怒ってばかりだから嫌いだって」
叱るのは母親の仕事だ。祖父母は甘やかすのが仕事だ。
「困っちゃって 騙して連れて来たわ」と誇らしげに言う。
「余程 そっち(実家)の居心地いいんだね」と私。


母親は子どもにとっての「一番」でない方が楽でいいと思っていた。
父親でも祖父母でも、母親以外に「一番」があれば、気が楽だ。
どうしたって母親は母親で、母親であることからは逃れられない。
好むと好まざるとに関わらず、物理的に子どもに一番近い存在である。
この上精神面でも一番になったら息苦しいわ。


母がいくら「〇ちゃんはおかあさんが嫌い」と言っても、堪えない。
孫が祖父母を慕った方が、祖父母も預かり易かろう。
祖父母に愛されて、祖父母が大好きなら娘は幸せだ。


幼児期にこれだけ可愛がってもらったなら、成長しても離れないだろう。
そう思っていた。


娘が6年生の時、母が大腿骨を折った。
毎日通う私を「どうしてそんな一生懸命になるの」と娘は詰った。
あんなに可愛がって貰って、なんてことを言うんだろうと驚いた。


娘の方が、私より早く母(祖母)の本性を見抜いていたのであった。
なぜなら。


母が娘(たち)を預かるたび、彼女に私の悪口を吹き込んだからである。
幼少時は真に受けて「私もお母さん嫌い」となるが、
成長するにつれ、
私のみならず、祖父や父親(家人)の悪口まで聞かされたせいもあって、
娘の心には不信感と不快感が育って行ったのだろう。
悪口言われてるのにどうしてお母さんはそんな必死になるの?
災害の時も今も。


その後、母の本性を(やっと)知った私は、
子どもの前でもおおっぴらに親の愚痴を言うようになり、
娘は(以前の記事にも書いたように)打って響く反応を見せてくれる。
皮肉にも「女の子を産んでよかった」の理由①となったのである。



母が得意げに言った「騙して連れて来た」であるが、
子ども心に娘は「あ 嘘をつくんだ」と傷ついたそうだ。