母と姉

父の、姉に対する非道っぷりばかり書いてきたけれど、
子どもを持って分かったのは「母親の役割」。
母親次第で、男親と子どもの関係は変わる。特に父と娘。


よほどの子煩悩、子ども好きでない限り、
女親が上手にとりもたないと、男親の子どもへの関心は薄れていく。
我が家の「男親」も乳幼児の頃は可愛がったが、
子どもが成長すると、自分の趣味趣向を優先するようになった。


私は子どもの要求にアンテナを張り、さりげなく家人に伝える。
「今度の週末あたり 〇子が買い物行きたそうなんだけど?」とか。
子どもが「お父さん 車で送ってくれないかなあ」と言えば、
「お父さんに訊いてごらん」と応えた上で、家人に前もって伝えておく。
最初に「えーっ」とか否定的な反応を見せてしまうと、
それが本音でなく照れとかであったとしても、子どもは委縮する。


子どもに父親の悪口や愚痴は決して言わない。
子どもの長所のみを強調して父親に伝える。


その程度のこと自分もやったわと大半の女性は思うかも知れない。
でも
私の母はやらなかった。


子どもたちに「お父さんは自分の母親と妹たちの方が大事だから
何を言っても無駄」と言い、父親との交流を遮断した。
子どもたちの長所は正しくは父には伝わっていなかっただろう。


姉の優秀さは「こざかしさ」となり、私の天真爛漫さは「ばか」となる。


前にも書いたが、
姉には私の悪口と、父が私ばかり可愛がると吹き込み、
私には「お姉ちゃんはあなたが嫌い。恥ずかしく思ってる」と伝えた。


娘の県大会進出に大騒ぎしながら、
姉のインターハイを思い出した。インターハイってすごいこと。
すごいことなのにどうして母は騒がなかったのだろう。


母が「〇子はすごいよ すごく頑張ったよ」と父に言っていれば。
父は、大荷物をもって移動する姉の送迎ぐらいしたかも知れない。


姉は、3年夏まで部活を続けた後(エスカレーター式の私学なので)、
「外部受験をする」と、国公立受験の準備に入った。
その頃「お嬢さん学校」でしかなかった高校にノウハウはろくになく、
それだけに先生は一生懸命になってはくれたけれど、
3年夏からの受験態勢というのは、それだけでもハンディだったと思う。


その上、家族の協力は一切、なかった。


娘の受験につきあい、姉がどんなにか孤独であったか、思い知る。
両親の協力どころか反対に晒され、
不合格への不安も、並大抵のものではなかっただろう。


父への反感ばかり高めていたけれど、
今なら分かる。母親次第で男親は変わる。娘も変わる。
父の性格にも問題はあったが、
あそこまで頑なにしてしまったのは、母だ。


そう。白雪姫の母だから。
娘が自分を超えることは許さない。
他者の関心が、自分から娘に移ることが我慢できない。



姉は模擬試験がわりに受けた一期校に合格し、
その勢いで本命の二期校(公立教育大学)にも合格した。
教員採用試験にも現役合格。


普通なら「自慢の娘」なのにね。