こびとはいないよ

家人は60代男性にしては、家事をこなす方だと思う。
てか言えば大抵のことはしてくれる。
言えば。


言うのが面倒で、してしまう。
家人が使うものを揃えたり、家人が使ったものを片付けたり。


家人は60代男性にしては、礼を言える方だと思う。
気づけば、「あ ありがとな」「してくれたんだな」ぐらい言う。
気づけば。


だが気づかない。
いきなりそこにミネラルウォーターが湧くわけないのに、
当たり前に手に取り栓を開けている。
どうしてそこにあるのか考えもしない。


無造作に置いた広告が、いつの間にか消えている。
誰かが片付けなければ移動するわけがないのに、何も考えず、
次も無造作に置いていく。
いつの間にか消えると思っているんだ。


男は家の中に小人がいると思ってる。
そこらに置いておけば、或いは、どこかに押し込めば、
小人さんが片付けてくれるとでも思っている。


男だけじゃねえな、と思った。
子どもたちも、かも知れん。我が家のじゃない。世間一般の。
公園でゴミを散らかすような子どもの家は、
意外と片付いているんじゃないか。
子ども部屋も、親がせっせと掃除機かけてるんじゃないか。
どんなに散らかしても、帰ればきれいな部屋が待っている。
ゴミなんか「誰かが」片付けるものだ。自分じゃない。
その「誰か」には親の顔さえついていない。
ただ漠然と、知らない間に片付くものだと思っている。


こびとはいないぞ。どこにも。


いや? 悪戯好きの小人はいるかも知れない。
そっとものを移動して、探す人間を物陰から見ている。