リップがない

20年ほど前になるか。
ひとりでの「おでかけ」からの帰宅途中、
近所の知人のご主人と会った。挨拶を交わして別れる。
そのご主人。自宅の玄関を開けるなり、奥さんに言った(と言う)。


「〇ちゃん(私だ)って なんでもできる人だと思ってたけど
化粧だけは駄目なんだな!」


私は化粧が下手である。


息子にまで言われた。薬局でバイトを始めた彼は私に、
「ビューティ(美容部員)さんに相談しなよ!」と言った。
うっさいわ。


私にとって化粧とは「化粧した」という事実を作るためのもの。
きれいになるためじゃなく、社会的責任を果たすために塗る。
「(一応)みだしなみは整えたかんね!」ということである。


外を歩いていたら、近所の人に呼び止められた。
「髪の毛 ぼさぼさだよ!」
「家を出る前 ちゃんと梳いたわ!」
梳いたという事実だけではダメなのだと気づいたのは、数年後。
きれいに整えてこそ、である。


さて。


きれいになりたいと思ったことはないが、
「こぎれいなおばあさん」にはなりたい。


5年前、美容師に相談した。
「メイクアップっていうけど 私のはメイクダウンなんだって」
美容師は大笑いした。
「これだけあれば大丈夫 ってメイクセットない?」
「もう化粧やめれば?」


眉だけ整えてあげるから、あとはペンで端っこ修正して、
リップを塗ればいいんだよ。


そうか。
どうしてもって時(あとは息子の結婚式ぐらいだ)(あればな)は
専門家に頼めばいい。


そしてコロナ。リップさえ要らない。


そして解禁。リップさえない。
「こぎれいなばあさん」は何色のリップを買うべきか。
まだしばらくはマスク生活続くけどさ。




「なんでもできる人」の内訳。
・ 月謝が惜しいのでピアノも習字も勉強も全部教えた
・ 美容院代が勿体ないので 子どもの髪も家で切った
・ 被服費節約で 自分で縫った。
・ ソフト代を惜しんで 懸命にパソコンの勉強をした
・ 着付け代を払いたくなくて自分で着つけた


要は、「お金がないなら自分でおやり」ってことだ。


以上のノウハウを使って近所の人にも奉仕した。
子どもにピアノ教えたり浴衣着つけたり、パソコンの相談に乗ったり、
衣装製作手伝ったり。
結果が「なんでもできる(けど お金がかかる化粧はできない)人」。