喜ぶべきか

今日は少し楽。買い物に行った。
娘から家人にSOSが入ったからである。風邪。
風邪薬と買い物を頼むとな。
家人だけじゃ不安なのでついていく。店を回り、届けた。
午後、散歩に出てみよう。



娘から、まごたちの写真が送られてくる。
日毎に、まご娘が不細工になっていく。
器量よしじゃないけれど、小柄なせいもあって
「可憐さ」というものがあった。それが消えてしまった。
つくりはどうでも、可愛いという雰囲気はあったのに、
消えてしまった。


なぜだ。顔つきなんてさすがに二ヵ月ではそこまで変わらんだろ。


考える。娘と息子。つくりはそっくりなのに、印象は違った。
娘は女児なのに男の子と間違えられ、息子は女の子と間違えられた。
娘には着せられなかったピンクの服が、息子には似合った。


何が違うんだ。


表情だ。感情の露呈だ。
娘は喜怒哀楽が激しかった。
息子は大方機嫌のいい子だったが、その笑みは穏やかな微笑。
「?」がついたような、問いかけるような笑み。
一方娘は豪快な馬鹿笑い。
泣くも笑うも怒るも、顔の筋肉を全部使って表していた。


そうか!
まご娘、表情が大きくなったんだ!
写真を撮るからには遊んでいたり喜んでいたりする時だ。
その笑顔がはっきりした笑顔になったんだ。


…で、不細工なんだ。


まご娘が愉しんでいる。喜んでいる。それは嬉しい。
まご娘が臆することなく感情を表出している。それは嬉しい。
けど、写真の中にいるのは、
家人→娘→まご娘の血脈、遺伝子。


くううう。


…いや 嬉しいんだけどね。子どもらしい子どもになったってことだもんね?