副作用にぼーっとしながら 311

顔がほてって耳鳴りがするのは血圧だろうか。
頭がぼーっとして動けるんだけれどぼーっとして。
味覚が変。塩味のきついものはいいけれど、
ヨーグルトとか刺身は苦い。
食べるものが美味しくないと楽しくない。


高額医療請求書が届いた。
ぼーっとしてるだけだからやってしまおう。
11月分の外来領収書のコピーをとる。
初回は手続きが必要だが、次回からは自動振り込みになるって。
まあそれなりに考えてくれてるなあ。思ったより。


辛くなってきたので横になる。
ぼーっと。
ああ そうか もう12年になるのか。


毎年3月が来るたびに憂鬱だったけど、今年は自分のことで一杯だった。
思い出すとやっぱりしんどいけどね。


あの頃の報道で、何が一番腹が立ったかと言うと、
明るく振舞おうとする被災者を認めないインタビュア。
ほたて貝がだめになりそうだから、頑張って消費するんだと、
「今日は ほたて祭りだよ!」と言うおばさんに対し、沈黙。
「いいですねえ ご相伴させてくださいよ」ぐらい言えって。
海自が船内の風呂を被災者に開放した。
利用した母子にマイクを向ける。母親は努めて明るく、
「なかなかできない体験ができて ラッキーでした」と、
隣に座る子どもに「ね?」と言っていた。
なのにインタビュアは被災の苦労を引き出そうとする。
ないわけないじゃん! 苦労も不安も悲嘆もあふれるばかりだ。
少し突かれただけで母親は声を詰まらせる。途端、子どもが縋りつく。
子どもの前で精一杯に明るく振舞っているのに! 
その精神力にどうして敬意を払えないのか。
子どもに「よかったね! お船の中のお風呂 気持ちよかった?」
でどうしていけないのか。



同情とかよりも、ただただ自分が落ち込んだなあ。
世界から色が消えた感じだった。
せめて福島がなければなあと思った。


動く気力が出たら、五百円玉貯金箱をひっくり返して、
人のいない募金箱探して入れていた。
大島弓子のマンガに出てくる「りんごーん」って鳴る募金箱が
あったらいいのにと思い、でもそうだと人が来ちゃうかとか。


暫くして、新聞に「福島作業員日誌」が載った。
癒された。不思議と安心して読めた。
新しい靴が支給されたとか、東電が持って来た防護服が暑苦しいとか。
ちょっとした喜びも不満も全部が本当だったからか。


毎日載っていた行方不明者数も、
毎週報告されていた福島の進捗状況も、いつしか消えた。


で、オリンピックだった。


なんかなあ な日々。