あけの心 くれの心 少子化について

仏教講和だかで読んだ。
「明けの心というのは 何かをしてあげる 何かをあげる気持ち。
一方 何かをしてくれ 何かくれというのは『暮れ』のこころ」
何かをしてくれくれと言うばかりでは 人間は暮れていく。
何かをしてあげたいという気持ちが夜明けを呼ぶ。


少子化の根本的な問題は、社会情勢でも雇用体系でもなく、
現代の若者の心じゃなかろうか。
(と言うと、個人の責任じゃないとか叩かれそうだが)


子育てに必要なのは経済力じゃない。


結婚も子育ても、自分以外の誰かを思うことだ。
時には自分を犠牲にして、誰かのために生きることだ。
この気持ちが育っていないのではないか。


モノに満たされた子ども時代を過ごし、
欲しいと思う前に与えられ、
時間の過ごし方さえ、玩具や習い事で埋められて、
これでは主体性は生まれない。
受けるばかりで与える喜びを知らないまま、成長していく。


自分が欲しいものを我慢してまで、家庭を築きたくない。


「お金がこれだけあれば」「社会がこれだけ援けてくれれば」
そう主張している段階で、もう覚悟が足りない。
不安は理解するけれど、言い訳にしか聞こえない。
自分を犠牲にするのが嫌なだけ。


他人の子を預かる。時々は、預かってもらう。これが互助。
でも今の親たちは公助を求める。公助は一方的。
自分から働きかけたり、自分が負担を負うことはない。
この努力もしないで「誰も助けてくれない」って我儘じゃないか。
「くれくれ」ばかりで「してあげる」がない。


未成熟な現代っ子を成熟させなければ、解決にはなるまい。




親になるということは、主役を子どもに譲ることだ。
主役を降りるには、それだけの満足と自負心が要る。
そうでなければ、
観客となって子どもの舞台を愉しむ余裕は生まれない。


空回りの少子化対策を続ければ、
主役から降りられないままの親が増える。
「白雪姫の母」である。