イヴのケーキ

「お父さんも一緒に食べるなら 大きめのホール予約する」
先月娘が言った。家人は即答で「喰う!」。


そして昨日。雪の残る道を娘宅に向かう。
私も少しだけお相伴。孫娘と並んで食べる。
孫太はまだ貰えないので、彼が寝ている間に。


孫娘は半年前まで私に懐かなかった。
娘のつわり中、ずっと私が面倒見ていたのに懐かなかった。
必然性のない時は抱っこされようとしない。
「本を読んで」と言うから抱っこかと思ったら、
対面の床に座られたこともある。
それが急に私を追うようになった。


きっかけは多分あれだ。
食卓椅子に座ってお絵描きをしている時、業者さんたちが入って来た。
人見知りの激しいまごちは俯いていた。「泣かない」
え? 「泣かない」 呟く彼女に「泣きたいの?」と訊く。頷く。
「抱っこしようか」試しに訊いたら、頷いた。
業者さんが帰るまで、ずっと抱いて座っていた。


以降、それまで爺っ子だった彼女が、私に寄ってくるようになった。
だが私は以前の彼女の方が、その頃の彼女との関係の方が、好きだ。
家人に抱かれている彼女を眺めるのが好きだった。
私への依存が高まるにつれ、子守が苦痛になっていく。


懐かれることに責任を感じるのだろう。
与える影響に怯えるのだろう。
彼女はとても吸収力が高い。


彼女は「楽」で同時に「育てづらい」子どもだ。
キッチンでも洗面所でも「入っては駄目」と一度教えれば、
見えない結界があるように一歩も踏み入れない。
普通、乳幼児の成長と共に、室内の小物は高い場所に移動され、
ドアや引き出しにはストッパーがつけられるが、
彼女には必要なかった。彼女は自分の領域を心得ていた。
そういう意味で「楽」。
だがそういう子どもは子どもらしくない。


孫太が生まれて育って「そうだ 子どもとはこういうものだ」と思い出した。
孫娘は子どもらしくなかった。
彼女との間に常に緊張感を抱いていた。


入院から一か月間、彼女と会わなかった。
その間に「(支援センターの)保育士さんと遊んだ」「抱っこされた」など
娘から報告を受け、とても嬉しかった。とても楽になった。
遊び方、遊ばせ方に長けた保育士さんに馴染めば、
私との世界など取るに足らないものと知るだろう。
私が彼女を取り巻く大人たちのひとりになれば、緊張も解けるだろう。


動画の中の彼女は大きく見えた。


けれど会ってみると、別の緊張が発生していた。
「いつでも会えた人」が「限定的にしか会えなくなった」ことで。
一緒に過ごす時間を彼女が懸命に「保とう」としているかのようで。
巧く説明できないけれど、彼女の必死さが重い。
別れた後に切なさと疲労が押し寄せる。



これまで彼女はケーキを与えても、果物だけ拾っていた。
今回のクリスマスケーキは全部食べた。
大好きなイチゴだけじゃない。いろいろな美味しさがあると知ったのだ。


だから多分大丈夫。
そう思いたい。