もやりまくりの午後
前に書いた元・友人の話。
独身ゆえ、こちらは家族の話題は避けていた。
子どもや孫がらみでてんてこ舞いの時も
寂しい思いをさせちゃいけないと
忙しい素振りを見せずに話相手になってきた。
仕事での活躍っぷりを褒め
親のことで奔走していると聞けば褒め。
5年前、久しぶりにメールがきたから
孫が生まれたこと、父親が死んだことを報告した。
父親といっても愛情も愛着もないことを彼女は知ってる。
にも拘わらず返事が「ご愁傷さまでした」。
初孫誕生に関しては一切ふれないで。
「おめでとう」を避けるために
「お悔み」を書かれたみたいで
私がどれだけ父親に苦しめられていたか知ってる筈なのに?
スルーするなら両方ともさらっと
「あらまあ 忙しかったね」とでも流してくれたらよかった。
それでもメールが来るたび電話がくるたび
孫に離乳食を食べさせながらでも、相手をした。
「相談」といいながら
こちらの答えなど参考にする気もないと気づく。
気づいても、
次に訊かれると一生懸命答えてしまう。
けれど段々に疲弊してきた。
で、定量超えたんだろうなあ。許容量の。
それでもメールが来ると
突き放すこともできず返事を書く。
親の位牌のことで悩んでいるというから
大きいお寺ならいつでも引き取って処分してれる
自分もそうしたけど簡単だよ と返したら
「それは罪悪感が…」
まあいいんだけど。それは。
私自身全く!罪悪感ないから。
私は私なりの宗教観があるし、知識もある。
親や姉の信仰心(の欠如)も知っている。
感情と、それらの知識情報全部合わせての決断だから。
イラっと来たのは 「罪悪感」に続く講釈に、だな。
そこに溢れる自意識にだな。
これからもこれにつきあうの?
もういいよね。疲れたよね 自分。
少しは考えてモノを言え。
「相談」を口実にするな。
もう疲れて余裕ない(からメールしてくんな)
というメールを書いたが
とりあえず下書きフォルダに入れるのであった。
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