「夏休み」は「休み」

深野

夏休み最後の週、まご男は幼稚園である。

全員参加の夏季保育(後期)が始まるからである。

そのまま新学期である。夏休みは終わったのである。


可哀相な気もするが、親である娘が平然と

「だって幼稚園あるもの」と言い放つからには

休ませたらとは言えない。

まご男も分かっているようだし。分かっているから

先週から何度も「あとなんにち?」と確かめていた。


小学生にもトワイライトや学童がある。

あるが、まご女の性格上無理だろうと

預かることに同意した。


そのうち飽きるんじゃないか

毎日じゃなくてもたまにトワイライトに行きたいと

どっか連れて行けとか言い出すんじゃないか。


家人は「〇〇に連れていきたい」とか言っていたが

「次を期待されても困る。おでかけは親とする と決めておく。

私は家の中でしか子どもは見ない」と宣言した。


それでも毎日楽しそうに遊んでいる。

「また あした!」と手を振って帰っていく。


ふと思う。

毎日同じことの繰り返しでも

この平穏さ安定感こそが「夏休み」なんじゃないか。

お祭りや旅行などのイベントであって「休み」ではない。

学校や幼稚園、会社に行かないことが「休み」。


夏休み中毎日のように

特別保育や学童に通う子どもらに

家庭での「休み」はない。


考えてみれば

私の子ども時代、夏休みのイベントは少なかった。

楽しい思い出もあまりない。

ないが夏休みが終わるのは嫌だった。

ただ家で過ごす好きに過ごす

他人に干渉されたり振り回されることなく

自分のペースで過ごす昨日と同じようを過ごすことが

それだけでよかった。


「休み」を奪われた子らは本当の「夏休み」を知らないまま

大人になる。