ハッピーバースディ

今月まご娘は3歳の誕生日を迎える。
お祝いは事前に現金で渡した。クリスマスも誕生日も現金である。
「被服費」「プレゼント代」と名目は分けてあるが、
使い途は娘に任せてある。貯金もありである。


手元に置く服は買う。子ども服は可愛い。
着替えさせて帰すと、そのまま「ちょうだい」となることもある。
いいのだ。こちらのセンスが肯定されたことになる。
でまた、うきうきと次の服を買いに行くのである。


自分の子育ての時は子ども服の購入を愉しんだことはない。
予算が限られているので殆ど選べない上に、おふるをよく貰った。
「〇〇ちゃん 寒くない?」「服がないから着せられない」
と公園で会話したら「おふるでよければ 貰ってくれる?」と訊かれた。


子育てにかかる費用はいくらでも節約できる。
欲しいという顔をしていれば、おふるは集まる。
しょぼい格好で雪遊びをさせていたらスキーウェアまで貰えた。


散髪も家でやった。ピアノも習字も私が教えた。塾にも行かせない。
子どもを預かるとお菓子がついてくる。
料理を褒めたら毎週あれこれおすそ分けがくるようになった。
食材もいろいろ貰った。「あと米だな」とか冗談で言っていたら米もきた。
おいしいものを食べると子どもたちは「誰から貰ったの」と訊く。


顔が見える人から貰うおふるは気にならない。
でも古着は買わない。中古品も買わない。本やCDは絶対新品を買う。
子どもたちにも「中古のまんがは買ってはだめだ」と言った。


ものの豊かさと心の豊かさは比例しない。
お金をかけて子育てしても、豊かな子どもが育つとは限らない。


でも
そう言いながら。
孫にはお金をかけたくなる。
だから
娘にはお金を渡す。娘の良識を信じて現金を渡す。
あれこれ買いたい気持ちをお金に込めて、渡す。それで気が済む。



「おかあさん ケーキは大丈夫?」と娘が訊いた。
まご娘の誕生日ケーキだ。
「食べられないことはないけれど 私は行かない」
一か月会っていない。あと一か月は会うつもりはない。
まご娘は、多分彼女なりに自分の中で「会えないもの」と
納得し始めているのではないか。
だったら「中途半端に顔を見せない方がいいでしょう」。
娘は返事に詰まったが、否定はしなかった。だから、そうなんだろう。
「おとうさんは 来るよね」「そりゃ行くでしょう」
まごもケーキも大好きだもの。